高額療養費制度負担上限額引き上げに関する声明
近年、神経疾患領域では核酸医薬、抗体医薬、酵素補充療法や新規デバイスを用いた治療など、革新的技術による画期的な治療法が次々と実用化されており、かつては不治の病とされ、重篤な機能障害や致死的経過をたどった多くの難治性神経疾患に対する治療が可能となりつつあります。脊髄性筋萎縮症、トランスサイレチン型家族性アミロイドポリニューロパチー、家族性筋萎縮性側索硬化症、多発性硬化症、視神経脊髄炎スペクトラム障害、重症筋無力症、ライソゾーム病など、疾患の進行を抑制するのみならず、症状の改善さえ期待できる疾患修飾薬の登場で、多くの神経難病患者がその恩恵を受ける機会を得ています。昨今、アルツハイマー病に対して抗アミロイドβ抗体治療の利用が可能となったことも記憶に新しいところです。
一方、これら革新的治療法の多くは開発コストを反映した高額な薬価が設定されており、国民皆保険制度の持続可能性と、適切な医療へのアクセス確保の両立という難題に直面しています。その対応策として、高額療養費制度の負担上限額引き上げが検討されてきました。今回は見送りとなったものの、十分な調査に基づく国民への丁寧な説明がなされたとは言いがたく、国民の間に不安が広がっている状況です。日本神経学会は国民が安心して医療を受け続けられる社会の実現を願い、学会としての意見を表明いたします。
高額療養費制度は重篤な神経疾患患者が適切な治療を継続するための重要なセーフティネットであり、我が国が世界に誇る医療制度の一つです。公的保険制度の維持や保険料負担軽減のための議論は必要と考えますが、今回のように負担上限額の引き上げが議論不十分なまま実施されれば、経済的理由による治療断念や治療機会の格差拡大につながると強く懸念されます。特に、多くの神経難病は長期的な治療継続が必要であり、治療の中断や遅延は、回復不能な神経障害の進行を招き、患者の生命と生活に深刻な影響を及ぼす可能性があります。 したがって制度設計に際しては、患者・医療関係者、関連学会などの団体に加え、有識者を含めた慎重かつ十分な議論が行われるとともに、制度変更による影響について綿密な調査と分析を実施することを強く求めます。また医療費抑制への過度な志向が、我が国の創薬の発展や有効な海外新薬の導入を阻害することを懸念するものであります。
日本神経学会は全ての神経疾患患者が経済的理由により適切な治療機会を失うことなく、革新的治療の恩恵を享受できる医療制度が維持されることを強く望み、慎重かつ丁寧な制度検討を切に求め、ここに声明を発表いたします。
2025年4月12日
一般社団法人 日本神経学会
代表理事 西山和利