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沿革

日本神経学会の沿革

沿革要約

 現在の日本神経学会は、1960年に神経学単独の学会として設立され、国際神経学会連合(WFN)によってWFN日本支部として公認された。設立時の会員数は643名であったが、学会も会員数も順調に発展を続け、50余年後の今日、会員数は約8,000名、専門医数は約5000名の大きな学会に成長した。2010年にはWFNのHachinski会長はじめ各界の代表を迎えて、50周年記念式典が盛大に執り行われた。高齢長寿社会を迎えたわが国では、加齢性脳疾患、特に認知症や脳血管障害は増加しており、神経内科は21世紀のわが国の医療を担う重要な診療科として、その役割と期待は益々高まっている。
 この「新生」日本神経学会の歴史は50年余であるが、日本における本格的神経学の研究と実践、および神経学の学会の源流は、1902年に設立された「第一次」日本神経學会にまで遡ることができる(現在の日本神経学会と区別するために日本神経學会と記す)。発起人は、東京帝国大学内科学第一講座教授の三浦謹之助と同精神医学教授の呉秀三であった。三浦はドイツのErbとフランスのCharcotの下で神経学を学び、日本の神経学の祖と呼ばれている。設立当初は、神経学と精神学の関係者はほぼ同数で、学会誌である神経學会雑誌の論文数も神経学と精神医学に関してほぼ同数であったが、次第に神経学医師数が減少し精神医学医師数が増加したために、1935年に学会名は日本精神神経学会と改称された。
 1953年以降は、精神医学部門と神経学部門に分かれて、それぞれの部門から同数の理事を出すという変則的な1学会2部門体制で運営された。しかし、内科学会と精神神経学会に所属する神経学医師から神経学独自の学会が必要であるとの声が高まり、WFNの日本支部としての神経学独自の学会を設立することが決定された(1959年)。
 1960年4月には、第1回総会(日本臨床神経学会)が福岡において開催され、学会誌として臨床神経学が創刊された。(幹事長=理事長:沖中重雄、会長:勝木司馬之助)。1963年には学会名を日本神経学会と改称し、現在に至っている。設立時の会員数は643名であったが、1975年から専門医試験を導入して専門医育成に努め、2013年時点で、会員数は約8,000名、学会認定の神経内科専門医数は約5,000名を擁する学会に成長し、名実ともにわが国の神経疾患・神経内科医療の担い手となっている。

沿革年表

Ⅰ.日本神経學会の時代(1902-1959)
1902年:
日本神経學会設立
 設立時の代表は、東京大学内科学第一講座教授の三浦謹之介と同精神医学講座教授の呉秀三であった。三浦は1979年から3年間欧州に滞在して内科学の研修・研究に従事したが、その間にドイツのErbとフランスのCharcotの下で神経学を修め、わが国の神経学の祖と称せられる。呉はドイツで精神医学を修めて、帰国後は精神病患者の地位向上に努めた、学会設立は呉からの強い働きかけがあったとされる。設立時から、学会は神経学と精神医学が同等の立場で運営され、神経學雑誌の論文もそれぞれがほぼ同数で掲載されていた。
1935年:
日本精神神経学会に改称
 学会内で神経学者は減少し続けたのに対して精神医学者は着実に増加した結果、学会名は「日本神経學会」から精神医学優位の「精神神経学会」に変更された。また、精神医学の診療科の中には、精神科以外に精神神経科や神経科を標榜するものもあり、大学の神経学の教育も内科学講座と精神(神経)医学講座で担当されるようになった結果、本来の神経学としての独自性は弱まったと思われる。
1953年:
日本精神神経学会精神医学部門と神経学部門の2部門1学会方式の学会運営
 第二次大戦後に、神経学主体の学会を再興しようとする機運が強まった。1948年に創設された日本脳神経外科学会が大きな発展をしていたことも、神経学部門の医師に大きな影響を与えた。1953年に開催された第50回日本精神神経学会年次総会で、神経学部門からの要求に沿って、精神医学部門と神経学部門に分け、理事数は両部門から同数が選出されて運営されるという変則的な学会運営が承認された。
1959年:
第5回内科神経同好会において神経学独自の学会設立の決定
 日本精神神経学会と日本内科学会の指導的神経学者が一堂に会して、世界神経学会連合World Federation of Neurology (WFN) の日本支部として、新たに神経学会を設立することを決定した。この会には、WFNを代表して米国のPoserが出席し記念講演を行った。
II. 新しい日本神経学会の誕生と、その後の発展(1960-present)
1960年4月:
日本臨床神経学会設立と第1回総会開催
会員数643名。学会幹事長(理事長):沖中重雄・東京大学内科教授、大会長:勝木司馬之助・九州大学内科教授。学会の英語名は “Japanese Society of Neurology”(JSN)でロゴマークはそのラテン語。
1960年12月:
WFN が加盟を承認
1961年:
日本精神神経学会第58 回総会
 日本臨床神経学会総会において、学会の名称はそのままとして主として精神医学部門を担うものとし、神経学部門は1960年に設立された日本神経学会が担うことが承認された。これにより、日本神経学会は、1902年設立の日本神経學会(1935年からは精神神経学会)の神経学部門の正式の継承者であることが、日本精神神経学会において認められた。
1963年:
「日本神経学会」に名称変更。英文名、学会誌名には変更なし。
1967年:
学会専門医制検討委員会発足
1970年:
会員数2,374 名
1975年6月:
第1回専門医試験実施。43名の日本神経学会認定の認定医(後に専門医)誕生
1975年6月:
厚生省が標榜診療科名として「神経内科」を許可
1980年:
会員数4,054名
1981年9月:
第12回世界神経学会主催(京都)。勝木司馬之助会長、椿 忠雄事務総長。(名誉会長:沖中重雄、相澤豊三、高安正夫)。参加者:国内会員1,177名、海外66カ国1489名。
1990年:
会員数6,359名
1991年:
第8回アジア大洋州神経学会(豊倉康夫会長)
1994年:
第8回国際神経・筋学会(里吉営二郎会長)
1995年:
第10回国際臨床神経生理学会議(木村 淳会長)
2000年:
会員数8,171名
2000年:
治療ガイドライン作成決定
2002年:
治療ガイドライン(脳卒中、頭痛、パーキンソン病、てんかん、痴呆、筋萎縮性側索硬化症)発行。2010年改訂版発行。
2003年:
任意団体「日本神経学会」から有限責任中間法人「日本神経学会」へ移行・登記
2004年:
内科学会認定医取得を条件とした、「2階建て方式」による専門医試験に移行
2006年:
第10回国際運動障害学会(水野美邦会長)
2006年:
国際DLB-PDDワークショップ(小阪憲司会長)
2008年4月
診療報酬改定により、「神経学的検査」が生理検査項目として保険収載
2008年:
第1回日韓神経学会合同シンポジウム(坂井文彦会長)
2009年6月:
一般社団法人「日本神経学会」として登記。定款改定
2010年5月:
第50回年次総会(東京)期間中に、設立50周年記念式典と祝賀会を開催。「日本神経学会50年の歩み」発行。会員数約8,000 名、学会認定専門医4,500 名。
2010年:
第29回国際臨床神経生理学会議(柴崎 浩会長)
2010年:
第15回世界筋学会国際会議(埜中征哉会長)
2011年:
新定款による代議員、理事、監事の選挙実施
2017年:
第23回世界神経学会議(WCN2017)開催決定(京都)

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